知ろう学ぼう わたしたちの川と海と港 阿賀野川編

このコンテンツは川もり海もりプロジェクト2018年の千曲川・信濃川流域交流事業の活動をもとにまとめた冊子から作成しています。冊子(PDF)のダウンロードはこちらからできます。

川はいまの道路や鉄道の役割を担っていた

阿賀川と阿賀野川

栃木県と福島県の県境にある荒海山を源流とし、福島県では「阿賀川」と呼ばれ、喜多方市で猪苗代湖から流れる日橋川、尾瀬沼から流れる只見川と合流し、新潟県に入ると「阿賀野川」と呼ばれて新潟市で日本海に注ぎます。

豪雪地を流れるため、長さの割に水量が多く、日本の河川では信濃川に次いで第2位。全国有数の水のきれいな川でもあります。鉄道や自動車がなかった時代、たくさんの荷物や重い荷物は川を使って運ばれていたので、阿賀野川は、信濃川 とともに私たちの暮らしを支えてきた川です。

阿賀川・阿賀野川

江戸時代には、津川(阿賀町)は新潟港と川でつながっていたことから、さまざまなものが運ばれていました。この時代では、お米は地元で食べる以外は売り買いの中心地だった大坂(いまの大阪)へ運ばれることが多く、会津の米津川で船に積み込み新潟港へと運ばれ、新潟港で大きな船に積み替えて、日本海から瀬戸内海を経て大坂へ届けられました。会津の名産である漆器も、新潟から船で全国へ運ばれていました。一方、新潟の町はものや人が行き交うことで人々の暮らしが成り立っていたので、港を使ってくれる会津の人々は大事なお客さん。互いに良い関係にありました。

暮らしに欠かせないものも川で運んだ

会津から川を下ってくるまきを、新潟では塩づくりに使うという意味で「塩木」と呼んでいました。日本の塩は、ほとんどが海水を沸かして造られます。ずっと昔は新潟の周辺でも塩づくりが行われ、森の豊かな会津からのまきを使っていたようです。そして新潟から会津へも塩がたくさん運ばれていました。味付けや保存食づくりに欠かせない塩も、阿賀野川でやり取りされていました。

川の役割といえば、飲み水や生き物、美しい景観をイメージしがちですが、昔の川は今の道路や鉄道の役割を担っていて、今以上に暮らしに欠かせないものでした。

津川→新潟は船で8時間

1878(明治11)年、イギリス人で女性旅行家のイザベラ・バードが会津から津川、津川から新潟を旅しています。彼女が後に書いた「日本奥地紀行」によれば、津川から新潟まで阿賀野川を下る定期船が朝の8時に出ていたそうです。新潟までは8時間かかり、料金は80銭。当時通っていた東京ー品川間の鉄道料金を基準にすると、30銭は今の960円くらいです。彼女が乗った船は、25人くらいの人と荷物を運んだそうです。時間はずいぶんゆっくりですが、当時船は最も重要な交通機関でした。

外国との玄関口「開港五港」

江戸時代の終わり頃までは、外国との行き来やものの売り買いは徳川幕府によって禁止されていました。それが、1858(安政5)年にアメリカなど五つの国と国際条約を結んだことにより、横浜、神戸、長崎、函館、新潟の五つの港に限定して、人やものの行き来が認められました。この五つの港を「開港五港(かいこうごこう)」と呼んでいます。

新潟税関

港には、船が波の影響を受けない状態になっていることが求められます。現代では、海に大きな堤防を造るなどして港を整備することができますが、昔はそうした技術がなかったため、海岸に面した入り江や、川が海へとつながる河口に港が造られました。入り江の港は海に向かって開かれていますが、河口の港は海だけで亡く陸地にも開かれているという特性を持っています。開港五港の中で、新潟港だけが河口にある港「川港」です。

新潟港は、日本一の長さと水量を誇る信濃川、水量ではそれに次ぐ阿賀野川とつながっていました。海を使って全国に荷物を運ぶだけでなく、会津や、金物産地として栄えた三条、関東への入り口だった六日町へ川を使ってたくさんのものが運ばれていました。まさに、新潟港は二つの川を通じて、川沿いの町や村と広い範囲でつながっていたのです。

開港した150年前の新潟は、河口に面した狭いところだけがまちで、港を出入りする船を見ながら人々の暮らしがありました。まちの中にはたくさんの堀があって、どこへでも船を使って荷物を運んでいました。

新潟西港

現在の新潟港(新潟西港)。まちの中まで大きな船が入ってくるのは、日本では川港である新潟ならではの景観です。

船や港は、私たちの暮らしに欠かせない存在であり、昔は今以上に港に寄り添った暮らし方をしていました。そして、港につながる川を使い、より広い範囲の人々がつながりを餅、お互いの暮らしを支え合ってきたのです。

新潟×福島体験レポート

2018年8月18日・19日、新潟県、福島県の小学5,6年生40人が新潟市と佐渡市で1泊2日の体験交流を行いました。阿賀野川の上流と下流、自分たちの知っていることを教え合い、新潟港について学び、佐渡では塩づくり体験やライフジャケットを身につけてバナナボートなどに乗りました。体験レポートの一部を紹介します。

なお、新潟×福島の交流では8月25日に小学3年以上の親子40名で、三条市で鍛冶体験も行いました。

新潟市立木崎小学校5年 加藤泰樹さん

ぼくが将来大人になった時、阿賀川・阿賀野川と日本海に関心を持ってもらうためにミラノ子どもたちに阿賀川・阿賀野川の良いところを伝えていきたいです。
ぼくは、初めて川の河口を見に行きました。川の河口が大きいことや水がきれいなことを細かく後の世代に伝えていくことが必要だと思いました。

郡山市市立富田小学校5年 佐々木陽香さん

みんなと一緒に海水から塩を作る体験をしました。その塩で作ったおむすびは、とてもおいしかったです。海水は、こんな風にわたしたちのいろいろな食べ物に使われます。だから、海はキレイでいてほしいと思います。そのためにわたしたちが環境を守ることが大事だと思います。そのためには、砂浜のごみを減らしたり、家出使う洗剤の量を少なくしたり、環境にやさしいものにしたりすると良いと思います。

新潟市立鳥屋野小学校6年 坂上春樹さん

私の住む新潟市は信濃川や阿賀野川、そして日本海にとても近いですが、両親には小さい頃から「川や海は危険な場所」と教えられてきたり、また夏は海水浴よりもプールで遊ぶことが多かったため、これまであまり「水に親しむ」というようなことを真剣に考えたことがありませんでした。
でも、今回このツアーに参加し、道路がまだしっかりできていない時代に、阿賀野川が福島県との交流に大切な役割を持っていたことや、海水から塩が摂れる様子を学ぶことができたことで、海や川が私たちの生活とは切りはなせないものだということがよく分かりました。
また、磯や海でふだんできないようないろんな遊びを経験できたことで、海や川で遊ぶことの楽しさが分かったし、怖いイメージもなくなりました。

上越市立有田小学校6年 土屋晶さん

私は川もり海もりプロジェクトの塩コースに参加して、福島に友達ができました。みんな最初は話したりできず、しーんとしていました。でも、一泊二日一緒にすごし、帰りのの船では昔からの友達のように話すことが出来てうれしかったです。
塩コースの体験では、班のみんなとバナナボートやジェットスキーに乗りました。乗っているとき、水がかかると寒くて「つめたい!」と盛り上がりました。同じ事を一緒に体験して楽しさを共有できたことが私はうれしかったです。

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