千曲川信濃川

千曲川・信濃川のあらまし

2018.07.18

信濃川水系は山梨・埼玉・長野三県にまたがる甲武信ヶ岳(標高2,475m)を源流とし、日本一の長さ(367km)と日本一の流量(16.3㎦)を持つ、日本一の河川です。上流部にあたる長野県内で千曲川と呼ばれ、新潟県内に入って日本海に分流する大河津分水路(長岡市)までが信濃川中流、大河津分水路か日本海に注ぐ河口(新潟市)までが信濃川下流と呼ばれています。

長さ 367kmー全国第1位
流域面積 11,900㎢ー全国第3位
流域内の人口 およそ290万人
源流 甲武信ヶ岳(標高2,475m)

信濃川水系 源流から河口まで

源流は高原レタス栽培で有名な長野県川上村にあり、ここから佐久、上田の盆地を通り長野市で犀川と合流します。

 

犀川は千曲川源流より標高の高い日本アルプスの槍ヶ岳(標高3,180m)を源流とする梓川から始まり、避暑や登山者に人気の高い上高地、わさび栽培が盛んな安曇野を経て松本盆地で高瀬川、奈良井川と合流したところで犀川と名前を変える川です。松本盆地と長野盆地の間には1,000m級の山並みがあり、犀川はこの山並みを抜けて長野盆地へ入ります。犀川、千曲川の合流地点では犀川の方が川幅が広く大きいのですが、小さい方の名前が継承されています。

犀川

長野盆地のはずれから犀川上流部の眺め。遠くで雪をかぶっているのは北アルプスの2,000m級の山並み。犀川はこの山並みから水を集めて長野盆地へ、1,000m級の山並みを超えてやってきます

その後果樹栽培が盛んな長野、中野市を通過。このあたりではかつて、信濃川が運んだ肥沃な土を利用した菜の花(食用油の原料)栽培が盛んでした。そして山間部の飯山地方を抜けて新潟県(中流域)へ入ります。

立ヶ花狭窄部

千曲川のアキレス腱と言われる立ヶ花狭窄部(長野県中野市)。写真に写っている山の部分がいまも隆起し続けているため千曲川の水が流れにくくなっている

津南町では川がつくった景観として全国有数の、9段におよぶ河岸段丘をつくり、十日町、小千谷、長岡へ。この間十日町市で清津川と、長岡市で群馬県境を源流とする魚野川と行流。長岡市では信濃川のつくった広大な河川敷を利用した三尺玉など巨大な花火が上がります。

津南町の河岸段丘

信濃川の流れがつくった河岸段丘の眺め。地面が階段状になっています。新潟県津南町

長岡市を過ぎると信濃川が運んだ土砂がつくった越後平野に入り、河口までほとんど平坦な地形が続きます。越後平野は水が流れにくいため毎年のように洪水被害に襲われており、1922(大正11)年に通水した大河津分水路によってようやく根本的な解決がされました。

 

大河津分水路下流からは信濃川下流域となり、傾斜の少ない平野部では河口を探すようにうねりながら複雑な流れ方をします。大河津分水路を過ぎてまもなく中ノ口川に分流(30kmほどで再び合流)、その後三条市で福島県境から流れ出る五十嵐川などと合流し、福島県から流れてくる阿賀野川とは小阿賀野川でつながり、親松排水機場で鳥屋野潟に集まってきた水を受け取ります。このあたりは海抜ゼロメートル地帯のため、排水機場のポンプで水をくみ上げないと信濃川に流れていかないためです。親松を過ぎると中ノ口川と再び合流し、その後関屋分水路で一部を日本海に流して、ようやく河口に至ります。この間、全国屈指の稲作地帯に豊かな水を供給しますが、かつては水害常襲地域であり、水田が水没して米が採れず、燕三条地域の金属産業などは生活を補うための副業として始まり発展したものです。

 

新潟市は江戸時代から信濃川河口に港を構え、海と川の両方をうまく活用して物流基地して栄えてきました。いまも河口は港湾エリアで旅客船や貨物船が出入りしています。

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