阿賀川阿賀野川

阿賀野川水系の水害

2018.07.18

阿賀川・阿賀野川水系の主な水害を見てみましょう。

これは阿賀野川水系河川整備計画でまとめられた過去の主な水害のうち、死者5名以上、または家屋の被害1,000戸以上、もしくは1秒あたりの流量が過去最高だった水害を抜き出したものです。流量の記録が取られるようになったのは昭和30年代以降です。もっと昔にも大きな災害はありましたが、記録が定かでないためにここに載っていないということを忘れないでください。

 

流量は、上の欄に福島県喜多方市の山科観測所で計測されたもの、下の欄は新潟県阿賀町馬下観測所で計測されたものです。1秒間にどれだけの量がそこを通過したかを示しています。学校のプール(長さ25m、幅12m、深さ1.2mとして)の水量が360㎥ですから、馬下観測所で過去最高の9,948㎥/sを記録した2011年の水害では、1秒間で25mプール27.6杯分もの水が流れたということです。

 

発生

被害の規模

流量

1902(明治35)年9月 福島県→全壊758戸、半壊462戸、家屋損壊6,992戸
1913(大正2)年8月 福島県→死者行方不明者13名、全半壊35戸、浸水1,006戸、堤防決壊288か所
新潟県→家屋流失3戸、浸水2,100戸、堤防決壊17か所あまり
1956(昭和31)年7月 福島県→家屋損壊91戸、浸水9,381戸 1,940㎥/s
新潟県→流失家屋7戸 7,824㎥/s
1958(昭和33)年9月 福島県→死者6名、全半壊215戸、浸水2,433戸、堤防決壊381か所 3,174㎥/s
新潟県→家屋流失と倒壊97戸、堤防決壊97か所 8,930㎥/s
1969(昭和44)年8月 福島県→全壊140戸、半壊と床上浸水732戸、床下浸水1,502戸 1,098㎥/s
新潟県→流失1戸、半壊床上浸水179戸、床下浸水75戸 6,063㎥/s
1978(昭和53)年6月 福島県→全半壊床上浸水57戸、床下浸水1,502戸 1,612㎥/s
新潟県→浸水7,259戸 7,870㎥/s
2002(平成14)年7月 福島県→浸水105戸 3,343㎥/s
新潟県→浸水8戸 5,725㎥/s
2011(平成23)年7月 福島県→行方不明1名、全半壊235戸、浸水273戸 1,566㎥/s
新潟県→全半壊209戸、浸水415戸 9,948㎥/s

水害と治水・防災の関係

1913年の水害は、新潟県では木津という地域の堤防が決壊して起こった水害として「木津切れ」と呼ばれています。新潟県の記録では死者も出て浸水被害も1万戸以上とされ、収穫を間近に控えた広大な水田が水没した大水害として語り継がれています。この水害をきっかけに阿賀野川が国の直轄河川に編入され、川幅を広くしたり、曲がったところを真っ直ぐにして水の圧力を軽減したりする大規模な工事が開始されました。

 

福島県で6名の死者を出した1958年の水害では、これまでの治水計画を見直し、上流に流量を調整する大川ダムを建設するきっかけになりました。

 

上記の表に載っていない水害を含め、水害が起きるごとにさまざまな対策が立てられます。馬下観測所で9,948㎥/sの流量を観測し「戦後最大規模の水害」とされる2011年では、被害の規模は1958年の水害よりも少なくなっています。コンピュータの進化で気象観測もより細やかな予測データを出せるようになっており、住民が安全に避難できるような対策も進んでいます。水害の被害を軽くするためには、治水対策だけでなく国や自治体のさまざまな組織、町内会や消防団などの自治組織、そして住民ひとり一人の行動が大きく関わっています。

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